アンラーニング(学習棄却)と学ぶ姿勢
アンラーニング(学習棄却)とは学ぶ上でとても重要な事と考えております 私の実体験も踏まえ説明したいと思います
私が初めてこの言葉に出会ったのは天風哲学でお馴染み中村天風関連の本です
氏は自身が結核にかかり治療法を国内外で探していました。医師達の説明を聞いても病気を治せるようには思えず死を意識せざるを得ない時、氏はヨガの師匠と出会います
病気を言い当てられ、さらに病気の完治を約束された氏はインドへ同行し、教えを乞います
ヨガの師匠は言います「こちらの準備はできている、お前の準備ができてから始める」
氏は「準備はとうにできている」と返答します
師匠はどんぶり並々に水を入れさせ、持ってくるように言います そしてそこに湯を入れるように命じます
ばかばかしくなった氏が「それではこぼれてしまう」というと・・・
師匠が次のように言います
「どんぶりの水がお前だ、頭の中には今まで経験したことや学んだ事でいっぱいだ こちらが教えても受け入れる事ができない」
これが準備ができていないという答えです
要は学ぶ姿勢とはバックボーンをなしに、まずは空っぽにして聞き入れる姿勢が大事という事を伝えています
何かを学ぶ時に自身の経験や知識等バックボーンは演者の発言や資料の内容を咀嚼する為の物となります
ポジティブに働く事が多いと思っていましたが、弊害になる事も多いのも事実です
演者の説明に反発したりマウントを取ろうとする受講生もいるわけです
これはまさにアンラーニングなしに説明を聞いていると言えます
治療法の勉強会でお伝えする内容は①演者の考え②必要な評価③介入技術方法で構成されているものだと考えています
受講生がここは違う!!と言っても演者の考え(ここには持論やエビデンスも含まれる)がベースに構成されているのであって話は平行線ではありませんか?
ここは自身の考えと演者の考えの相違点をメモし後で聞きに行く事にしましょう
また演者は全て正しいわけではないし鵜呑みにしなさいと言いたいわけではありません
裏どりやその後の深く掘り下げる作業はご自身がしなければなりません
天風氏もその後学んだことを体系化し哲学は完成され日本に広めました
話は戻りまーす
治療技術はたくさんあります、もしかしたら私が発信した技術が別の人が行っていた物と類似しているかもしれません
もしそうであれば私は宣言しますが、自身の理念に必要だから使っているという事をお伝えします
逆に全く知らず類似している事を行っていたとしても、それは知りません
①自身の考え②必要な評価③介入技術方法から導き出された方法であって、使い方もそれによる恩恵も違うのではないでしょうか?
「この方法は〇〇先生が使用していた・知っている」「自分ならこうする」と言う前にアンラーニング
私が受講側でいたらアンラーニングをベースに学ぶ姿勢を取ります
演者への敬意という事と、勉強会は演者と受講生双方から成り立ちます これマナーだと思います
演者への質問も敬意とマナーをもってできるといいなと思っています
幸い私が演者の時(内容からしたら起きてもおかしくない…)にこういった被害を受けた事はあまりないのですが、
勉強会のお手伝いをしていた時や受講生として参加した時の他の受講生の態度が気になった事もあります
最後に
問題の解決策を探し勉強会に参加しているはずです
「最高の学び」と「学びを誰かの為に還元したい」のであればアンラーニングと学ぶ姿勢を気にして勉強会へ参加してみてはいかがでしょうか(^^)
学び方のコツなんかも実体験をもとに書いているので気になったら見てください